デザイン会社のブログに仏像の話ってのもおかしいですが、興味のある方は御覧ください。

皆さん、山田寺の仏頭(国宝)をご存知ですか?現在は興福寺が所蔵している白鳳時代の傑作です。昨年の9月に東京藝術大学大学美術館にて興福寺創建1300年記念国宝 興福寺仏頭展が開催されたので、観に行かれた方も多いのではないでしょうか。本来であればこの仏像の造形的な美しさを語るべきなんでしょうが、今回はちょっとその歴史について考えてみたいと思います。

ウィキペディアなどにも記載されていますが、この山田寺仏頭は名前が示すとおり、興福寺ではなく奈良県桜井市にあった山田寺のご本尊だったものを「興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪して、興福寺東金堂の本尊に据えた。(ウィキペディア山田寺より)」ということになっています。簡単にいうと人様のものを仏に仕える身の僧侶が奪い取ったということです。

この話を初めて読んだときは、酷い事をするもんだなぁぐらいに思っていましたが、良く良く考えてみると今ひとつスッキリしません。

まずその大きさです。山田寺仏頭は現在頭部しか残っていませんが、制作された当時の大きさは「丈六」と言われています。「丈六」とは約4.8メートルで、坐像の場合はその半分程度を指す場合が多いようです。(ちなみに日本で一番最初に制作された「飛鳥大仏」も「丈六」と言われており、現在の大きさは2.75Mあります。)また「薬師三尊像を強奪」となっていることから、本尊以外に脇侍像が他に2躯あったことになります。つまりそう簡単に移動できるものではなかったと考えられます。

なにが言いたいかというと、これほどの巨大な仏像を「強奪した」ということに物凄い違和感を覚えるのです。しかも山田寺跡地から興福寺までは約23.5kmもあります。当時は舗装された道もなく、移動するには多くの人々の協力が必要だったのではと考えるのが普通だと思います。そう思いませんか?

正直、当時の時代背景などもっと調べないとなんとも言えない思いますが、いつか山田寺の仏頭についてもっと深く研究できればなぁと考える今日この頃です。なんだか尻切れトンボになってしまい申し訳ございませんが、どなたか賛同して頂ける方がいれば嬉しいです。

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